戸隠連峰の一峰、戸隠山(とがくしやま)は、長野県長野市にある山。その麓に「戸隠神社奥社」が鎮座しています。
お詣りに行って参りました。
戸隠神社奥社の歴史
まずは簡単に歴史から確認してみます。
- 紀元前210年頃(社伝)
天岩戸を開いた天手力雄命を戸隠山の麓に祀ったことが、奥社の起源と伝えられます。これは戸隠神社に伝わる由緒上の年代です。
- 849年(嘉祥2年)頃
飯縄山で修行していた学問行者が戸隠に入り、地主神・九頭龍大神の加護を受けて修行道場を開いたとされます。これが後の戸隠寺、さらに顕光寺奥院、現在の奥社につながる起源とされています。
- 平安時代後期(1058年頃)
戸隠山では山岳信仰と仏教、修験道が結びつき、戸隠寺・顕光寺を中心とする神仏習合の霊場へ発展しました。康平年間(1058年頃)には宝光院が開かれたと伝えられています。
- 1087年(寛治年間)頃
中院が開かれたとされます。これにより、戸隠の宗教施設は、現在の奥社にあたる奥院、中社にあたる中院、宝光社にあたる宝光院の三院体制となりました。
- 中世〜戦国時代(12〜16世紀)
戸隠山は修験道の霊場として発展し、多くの僧侶・修験者・参拝者が集まりました。一方、戦国時代には武田氏と上杉氏の争乱に巻き込まれ、寺院や宿坊が荒廃した時期もありました。
- 江戸時代(1603〜1868年)
戸隠山顕光寺の庇護のもとで信仰が再興され、戸隠講も広まりました。九頭龍大神は水の神・雨乞いの神として農民からも信仰され、奥社周辺には宿坊や参道が整えられました。現在の杉並木や随神門も、江戸時代の戸隠信仰を伝える重要な景観です。
- 1710年(宝永7年)
奥社参道の随神門が建立されたとされます。当時は仏寺院を守る仁王門でしたが、明治時代の神仏分離後に随神門へ改められました。
- 1868年(明治元年)〜1979年(昭和54年)以後
明治元年の神仏分離令を契機に、戸隠山顕光寺は戸隠神社へ移行しました。奥院は奥社、中院は中社、宝光院は宝光社と改称され、仏像や仁王像なども移転されました。
その後、1979年(昭和54年)に奥社・中社・宝光社などが「戸隠神社信仰遺跡」として長野県史跡に指定され、山岳信仰と修験道の歴史を伝える遺跡として保護されています。
境内案内図
●案内図にあるように、大鳥居~奥社までは約2kmあります。道中の森・木々に見惚れつつゆっくりペースで約60分で奥社に到着。
※登山靴とまでは言わないが、運動靴がオススメです。
●大鳥居左側には「戸隠森林植物園」があり、散策してみたかったが、今回は時間の都合で断念。

●奥社手前、階段の途中に「戸隠山登山道」があります。

境内の風景
ここからは壮大な境内の風景(主に参道)画像をご紹介。
戸隠神社へ向かう途中の北アルプス
戸隠神社奥社随神門

圧巻の大杉並木

奥社と祈祷御神籤
名物!りんごソフトクリームとクマ(?)
まとめ
今回参拝させていただいたのは奥社のみ。公式のサイトでは「五社めぐり」の案内もされています。
宝光社(ほうこうしゃ)→[徒歩15分]→火之御子社(ひのみこしゃ)→[徒歩15分]→中社(ちゅうしゃ)→[徒歩30分(参道入口まで)]→奥社
※徒歩所要時間を記載しておりますが、バスでも移動アクセスは良さそうです。
SNSでみていた奥社大杉並木、画像でもその壮大さを感じることができたが、やはり実物は画像を超える迫力と生命の偉大さを感じることができます。
次回は5社めぐりを堪能したいと思います。
あと、戸隠山へは行かなあかん。そやけど「蟻の塔渡り」無理やろな~😓(エスケープルートあるみたいやけど)
【出典】
・「戸隠神社」公式サイトより
・「長野市デジタルミュージアムながの好奇心の森」公式サイトより
















